代表挨拶
はじめまして、全国障害年金サポートセンターを運営していますわくわく社会保険労務士法人の代表社会保険労務士の松岡 由将(まつおか よしまさ)と申します。
当事務所のホームページにお越しいただきありがとうございます。
障害年金の申請のサポートを依頼するにあたって、「どんな人に依頼するのか」というのはとても気になると思います。
そこで、私、松岡がどのような経緯で社会保険労務士になり、障害年金の申請サポートの仕事を始めたのかを私の自己紹介としてお話させていただきたく思います。
税理士を目指した20歳
私、松岡由将は、1981年2月12日に広島県福山市で生まれました。
子どもの頃から社長になることが夢で、資格をとって「○○士」になれば簡単に会社を持てると思い、最初は税理士を目指していました。
ただ、今思うと、目指す動機が緩かっただけに努力が足りなかったと思います。
仕事ではミスの繰り返し。
でもプライドはあって、ツンツンして人からのアドバイスを聞き入れることが出来ず、退職となってしまいました。
今、当時の自分が面接に来たらまず採用しないですね(笑)
ベンチャー企業の立ち上げ!
22歳の頃、友人とIT関係のベンチャーを立ち上げました。
仲良しの二人で初めた会社だったのですが、「何やねん、その言い方」「オレやってるんやからお前もやれよ」など、些細なことで喧嘩をすることが多くなりました。
結果、その会社は長く続けられませんでした。
IT会社へ就職
25歳の時、起業した会社を閉めてIT会社に就職しました。
担当は事務で、総務・経理・人事を担当していました。
当時は今ほど労働基準法も守られておらず、プログラマーさんは残業が当たり前の世界でした。
また、一日PCににらめっこしていたり、もともと真面目な方が多かったこともあり、ある時期からスタッフのうつ病での退職が問題となっていました。
それがきっかけで、障害年金や病気に対する社会保障を知りました。
障害年金の申請は社会保険労務士の仕事ということを知り、社会保険労務士に興味をもつようになりました。
税理士は諦めましたが、元々「〇〇士」になりたいと思っていましたので。
そこで30歳の頃に社会保険労務士の試験に向けて専門学校で勉強を始め、二回目の受験で資格取得しました。
「松岡社会保険労務士事務所」を設立!
32歳の時に「松岡社会保険労務士事務所」を立ち上げました。
IT会社に勤めていた時に知った「障害年金」の申請業務を専門とする事務所として開業したのですが、最初は障害年金の申請に関する知識がありません。
「障害年金」に関する知識も経験もないので、当然仕事の依頼はありません。
開業当時は食べていくために夜だけ、ほっかほっか亭でアルバイトをしていました。
元々、極度の人見知りで知らない人と会話をするというのが苦手でした。
当時のキャラは根暗・引きこもり・人見知り(笑)
アルバイトをしようと決めたときに、すぐに思いついたのは夜間の宅配便の仕事でした。
でも、今後の自分のなりたい姿を考えたときに、苦手だからこそ接客業にしようと決めました。
初めてのアルバイトの時は店の奥の方から「いらっしゃいませ」を言うことさえ緊張していたのを覚えています。
その一方で、日中はひたすら障害年金に関する勉強をしました。
当時はインターネットでも障害年金に対する情報がほとんどありませんでした。
障害年金の専門家も少なかったため相談する相手もいません。
手探りで経験を積んでいくしかない状況でした。
障害年金に関する本を見つけたら、片っ端から全部買って、何回も読んで、マーカーを引いて・・・を繰り返していました。
表面上の言葉だけではなくて、常に「何故?」を意識しながら考えるようにしていました。
初めての病院への電話
そうやって知識をつけていた頃に最初のお仕事の依頼をいただきました。
最初の仕事で一番緊張したのは「病院への電話」です。
障害年金の申請には、病院の先生に申請用の診断書を書いていただかなければいけません。
頭には色々な言葉が浮かんでいました。
「社労士が電話するとどんな対応をされるのかな?」
「どんなことを聞かれるのかな?」
結局は取り越し苦労で「書類が必要なんだ!ちょっと来て直接書き方をおしえてよ!」くらいのとてもフランクな先生で、僕の中でのデビューはラッキーでした。
いろいろやってみてわかったのは、過去に社労士から「こう書いてください」と強要されて、社労士に対して嫌なイメージを持たれている先生が結構いるという事です。
当事務所では、障害年金の申請を通すために事実を歪めるお願いはしません。
あくまでも診断書は先生の評価を尊重して、社労士はそれに必要な準備のお手伝いというスタンスをお伝えすればスムーズに行くなど、少しずつ依頼方法がわかってきました。
とはいえ、いまだに、病院への連絡は緊張するところはあります(笑)
「社会保険労務士法人アウスル兵庫」設立
病気の方や障害を持つ方と、障害年金が通った・通らなかったという話をしていく中で、年金の申請が通ったと聞けば嬉しく思い、申請が通らなかったら、眠れないほど悔しい思いをしていました。
そのような経験を積んでいき、自分はこの仕事にやりがいを持ち、障害年金を知らない人に知って欲しい、同業者である社会保険労務士にも知って欲しいという強い思いが芽生えはじめました。
いろいろな思いが出てくる反面、これまで一人で頑張り過ぎて無理をしていたため、すぐに限界がきてしまいました。
そこで37歳の時に「社会保険労務士法人アウスル兵庫」として、思いを形にしてスタートさせました。(2021年5月1日より「わくわく社会保険労務士法人」へ社名変更)
わくわく社会保険労務士法人は2021年5月20日現在、松岡を含むスタッフ8名(社会保険労務士2名)となっています。
チームとして対応することによって、経験や考え方を共有、意見の交流をすることができ、より高いサポートを実現させることができるようになりました。
社会保険労務士になって見えてきたもの
障害年金の相談を受けていく中で、年金事務所や他の社会保険労務士から「申請は無理」と言われてしまう人が多いことに気が付きました。
その背景には、年金事務所の窓口はあくまで「受付」の場ですので、細かい症状に対する個々のアドバイスが難しいということがあるのかもしれません。
また、社会保険労務士は、難しいと判断した場合は受けないというスタンスの事務所もあるのかもしれません。
「難しい」かもしれませんが、本来は受給できるかもしれない生活に困っている相談者様もたくさんいらっしゃいます。
そこで当事務所では、「申請が無理」と断られた相談者様の障害年金の申請に対しても果敢に取り組むことにしています。
「一般社団法人障害年金普及協会」の設立
現在、障害年金を本来は受け取れるのに受給できていない方がいます。
本当は2級程度なのに3級と認定される方もいらっしゃいます。
また保存期間が過ぎてカルテを破棄されていたり、閉院などの理由で初診日が証明できず障害年金を受給できていない人もいらっしゃいます。
「そういった方々に笑顔を届けたい。」と思うようになりました。
まずは、障害年金という制度そのものを知ってもらう必要があります。
例えば、ガンやうつ病を患っている方や人工関節を入れている方は、「まさか自分が障害者だとは思わなかった」と言われるケースも多くあります。
障害年金でいう『障害』というものは、普通の人がイメージする『障害』よりも範囲が広いので、そのことを広めていく必要を感じました。
そこで「一般社団法人障害年金普及協会」を立ち上げました。
目指すものを実現させるために、立ち上げた協会。
今は全国を対象に、障害年金の勉強会を行っています。
最後に
私の非常に長いプロフィールをお読みいただき、ありがとうございました。
20代の頃の私は、挫折や失敗などで劣等感の塊と言っても良いほどの自分でした。
でも、それがなければ、<今の自分>になっていなかったのだと思います。
後ろを振り返れば、全て繋がっていて、『今』があり、今の仕事を『天職』と思えるのも全て導かれたものであるとさえ思えます。
<全ては、障害者に笑顔を届けるために>
そのために、自分たちは常に前へ進み、スタッフ一丸となって、障害を持つ方々に寄り添って歩いて行くことが大切であると思っています。
今後とも何卒よろしくお願い致します。
社会保険労務士
松岡由将
全国障害年金サポートセンターのロゴ
全国障害年金サポートセンターの立ち上げにあたって、メンバーみんなが一つの気持ちになって仕事ができるように、みんなの「仕事に対する思い」を話し合って、全国障害年金サポートセンターのロゴを作成しました。
私たちの仕事に対する思いとは、「今は大変な状況にいるお客様が、障害年金を受給して今よりも安心できる未来に向かっていくサポートをしたい」という思いです。
ロゴの手前から奥へと伸びていく黄色と緑のアーチは橋をイメージしています。
黄色はお客様、緑は私たち。
お客さまに寄り添ってサポートすることをイメージしています。
その先の逆アーチラインはお客様の笑顔を象徴しています。
「笑顔へ向かう橋渡し」「未来へ向かう道のり」をサポートすることを表しています。
「進んだ先には笑顔がある」というイメージのロゴです。
このロゴに込められた思いのように、メンバー全員でサポートさせていただきます。